メッセージ
教育格差をなくしたい

情報化社会・グローバル化社会が激化する令和の時代。
努力がしっかりと報われる、個性で選んだ未来が平等に訪れる社会を、
みなさんとどうやって作っていけば良いのか、政治は何をするべきなのか、門脇翔平からのメッセージです。

活動報告
Action/Report

大野元裕 埼玉県知事と

詳しくは→

平野春望 大田区議会議員と

詳しくは→

日常の活動を動画で

詳しくは→


教育格差
3つの問題と対策


「経済格差」を無くしたい

やりたいことがあっても経済的に出来ない。これは、世界共通の課題です。我が国では今までに多くの施策が取られていますが、公立中高への進学、医学部・ローススクールへの進学など、様々な場面で経済格差が立ちはだかっています。

「情報格差」を無くしたい

「そんな解決策があったとは知らなかった」、IT化・情報化社会と言われている昨今でも、情報を得ることが出来なかったために教育を受けるチャンスを逃す例は枚挙に暇がありません。

「社会的弱者」を無くしたい

「いじめ」「不登校」「父子・母子家庭」「自閉症」「特別支援学校」、門脇翔平はあらゆる生徒を本人の望みと努力で進学すうる方法をへ伝えてきました。 その中には単純な学力不足もありますが、思い込みや諦めをなくすことが大事ですう。 周囲から夢のまた夢と思われてきた未来への道があると知ったとき、努力してそれを掴み始めたとき、全くの別人になってドンドン成長していきます。


門脇翔平のあゆみ

略歴

昭和60年1月11日生
平成12年3月 川口市立神根中学校卒業
平成15年3月 早稲田大学本庄高等学院卒業
平成20年3月 早稲田大学理工学部機械工学科卒業

 

金町中・葛飾商業卒の父の友人達と、 幼少期から家族ぐるみの付き合い

幼少期に子役モデル

大学時代に塾を開業、教育・人材コンサルタント。

衆議院議員 柿沢未途 元秘書

2021年秋に行われる葛飾区議会議員選挙(東京都)に於ける立憲民主党の公認決定を受ける。

 

NPO法人日本・パプアニューギニア協会 戦跡アーカイブス委員会

一般社団法人老人病研究会
サイエンスアカデミークオーク 教室長など。

 

趣味:ギター、料理、バイク(本州一周)など。人の悩みを解決するのが何より大好き。

 

東京都板橋区出身。板橋中央産院で出生、川口幼稚園を経て、川口市立差間小学校、川口市立神根中学校を卒業。

出生時は3450グラム。板橋中央産院での逸話として、目鼻立ちがクッキリとしていたので同室の妊産婦の間で「ハーフではないか?」と噂になる。

その後、父親(日本人)が初めて産院を訪れた際の「私の顔を見た時の同室の妊産婦の落胆した表情は生涯忘れない。」と父親が語っている。

名前の「翔平」は、流行りものが好きな母が「翔」の字を使いたく、父が字画を見て命名。

 

公務員の父の元、時事問題・インフラ管理が身近な家庭で育つ。

子役モデル時代

1歳からモデル活動を開始する。(セントラルファッションに所属)

 

 主な掲載 

      ドレスメーキングのかわいい子ども服(8687冬号、8788冬号、88初夏号)

      Princess  Princess(1990年4月9日)株式会社シンコーミュージック発行)

      玩具メーカー 株式会社アガツマのPINOCCHIO(ピノチオ)シリーズに採用

             (87年店舗向けカタログ、及びポルカ(乗り物)パッケージ写真)

 

 ファッションモデル

      コシノヒロコ 子供服ブランドの制作発表会(ファッションショー)に出演

 

 テレビCM

      カルピス食品のCM「MAMA PAPA CALPIS」に出演。(1989年)

      リンク2

教育への目覚め

 小学校1年生の時に、「じゃあ、このグループには翔ちゃんが教えてね」と先生に言われて得意げに教えていた頃から人の役に立つことが大好き。

 とにかく何事も放っておけない世話好きと評される性格は、このころ既に形成。

 物心ついた頃から悪目立ちして時にはイジメられたりもしていたが、自分以外の人にイジメが及ぶとそれを救いたいという衝動に駆られていた。

 人に説明して幸せになってもらうことそのものを仕事にしたいと思い、在学中に個人事業主として動き始めてからずっと教育者として活動。

 コロナ禍で認知が拡がった「遠隔授業」を、日本では黎明期である2006年から行っており、全国・海外の生徒を指導。その中で多くの衝撃的な生徒に出会う。

衝撃的な生徒の事例と、政治への決意

両親を亡くし、祖母と二人暮らしの高校生がいました。

彼は、祖母が暮らすためのお金も稼いでいました。普通の仕事に加え、年齢を偽って夜の仕事もして。

そんな生活からの脱却を目指して、彼はインターネットで私を見つけました。

私は私のスタッフと共に彼に、一流大学への最短ルートと学習法を指導しました。私への授業料は合格してからで良いとも伝えました。

彼は年相応の元気な振る舞いに戻り、高くなかった学力もすぐに伸び始めました。

しかしその後、彼からの連絡は来なくなります。

 

あるとき、公衆電話から電話が来ました。海辺からでした。

「先生、俺、マグロ漁船に乗ることになったからしばらく会えません」

私は、あまりのことに言葉を無くしましたが、授業料はいらないことと元気に帰ってくるようにとだけ伝えました。

 

教育システム・教育費のシステムを変えなくてはいけない。その時強く決意しました。


Blog

ブログ